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”ついで”に大宰府天満宮2

 〜”ついで”に大宰府天満宮1からの続きです〜

                         記事担当:磯貝剛

参道が突き当たった、ちょっとした広場の様な所が太宰府天満宮の入り口。
神社のエリアに入った瞬間、亀戸天満宮と同じ様に体中の空気が
新鮮なものに入れ替わったような感覚を感じました。

感覚が高揚し過ぎて「来て良かった!」を連発している私に対し、
一緒に行ったN氏はやや引き気味でした。

初めてなのに庭の構造が手に取るように分かる事も感動でした。
というのも、話には聞いていたように亀戸天満宮の庭は
太宰府天満宮の庭の縮小版なのです。
太鼓橋
だから「心字池」と呼ばれる池も、おなじみの「太鼓橋」も「社務所」も、
天満宮のシンボル「梅の木」に至るまで 
体感倍率が ×4ぐらいで自分が小人になったような感覚でした。

おそらく一緒に行ったN氏の反応が結構普通だった事を冷静に分析すると、
毎日のように亀戸天満宮に出入りしている私の感覚だからこそ余計、
太宰府天満宮が大きく思えたのでしょう。
もちろん本社ですからこのような誤差を差し引いてもかなり立派です。

天満宮では「撫で丑」もおなじみです。
私も亀戸では大きな丑の銅像に手を置き、
「良くなれ!」「治れ!」とお願いする事しばしばです。

驚いた事に太宰府には何体もの「撫で丑」がところどころにあり、
どれに願掛けしようかと迷いました。
一緒に行ったNさんは丑年生まれだと言って大喜び。

本社
さらに進み、2つ目の大きな太鼓橋を渡ると
境内の手前に山門がありました。

山門をくぐりぬけ境内に入るとさらに神々しい雰囲気が上がり、
正面には重々しい赴きの社が迎えてくれました。
(山門は現在の亀戸天満宮には無いもので戦争の時分に焼けてしまったと聞いています。)

社の重々しさにしばし感動して見とれた後、いつものように「2礼2拍手1礼」。

ここに来られた感謝と、いつも亀戸天満宮前のお店もお世話になっているお礼
、その他言い尽くせない程の事を、目を閉じたしばらくの間に唱えました。

遠い昔、天才と謳われた「菅原道真」が亡くなった折り、
その亡骸を牛車で引き墓所に向かう途中、突然牛は座り込み、
テコでも動かなくなってしまったそうです。

人々は菅原道真がその場所で眠りたいと言う意志を受け牛は止まったのだ
と悟り、そこに道真のお墓を造る事にしました。

その牛が動かなくなった場所というのが「大宰府天満宮」です。

仕事の“ついで”の旅は歴史と感謝を感じる、いつもとはひと味違う旅となりました。


“ついで”に大宰府天満宮1

                       記事担当:磯貝剛

子供の頃から慣れ親しんだ神社が皆さんにもあると思います。

私の場合は亀戸天満宮。
東京の東に位置するこの神社は学問の神「菅原道真」祀る、
受験生に特に人気のスポットとなっています。

小学生の時は意味もなく神社の庭の大きめの砂利などを拾い集めたり、
池の亀に嫌いなパンの耳をあげに行ったり、七五三には一張羅を羽織りお参り。
中学3年の受験の時期になるとご多分に漏れず「学問の神」というフレーズだけ
を頼りにひたすら神頼み。

神社と寺の区別もつかない時分でしたので、亀戸天満宮が一番!と疑いもしない状態でした。

菅原道真関係で湯島天満宮、北野天満宮などの存在は知って
いましたが、「兄弟関係の神社」。とあいまいな認識でした。

とても恥ずかしい話、亀戸天満宮の前に店を出すまでどこが本社か?
などと考える事もなく、本社が「大宰府天満宮」であることを知ったのは
お客さんとのやり取りで始めて知りました・・・・

知ってしまったからにはその「大宰府天満宮」という神社に行ってみたい
なあ。などと思いはすれども福岡まで神社巡りのためだけに行くほどの
熱心さもなく・・・何かの“ついで”に行く事が出来る幸運を待つ事にしました。

亀戸天神の前に店を始めてから9年、若手の職人仲間と福岡のデパートで
東京の工芸を紹介しようという話が持ち上がり、九州に縁遠い私は
半分旅行気分で参加する事になりました。

旅行気分とはいえ仕事で行くのでまずはしっかり働かなくては。
一週間強の日程で可能なのは最終日の昼11時の飛行機
に乗るまでのわずかなタイミング。

もちろんその最終日に行ってきました、「大宰府天満宮」!

仕事をしたデパートの有る周辺はにぎやかな繁華街。
早朝5時過ぎ、そこから抜け出す事約一時間、ローカルな電車に乗り換え、
たどり着いた大宰府天満宮駅。

駅前からは情緒ある参道がつながり、両脇にはおみやげ屋、
饅頭屋などが思いのほかたくさん立ち並び、天満宮の人気を
感じました。

まだ神社に入ってもいないのに
「1200年も前から信仰が絶えずあったんだろうなあ」
「参道がこんなに賑わっているのだから中はさぞかし立派だろうな。」
と気分も上がります。


                 〜”ついで”に大宰府天満宮2に続きます。〜

 


BGMはビートルズ

 店内のBGMはビートルズ。

べっ甲屋には意外な選曲だと言われます。
その分「余程ビートルズが好きなんですね」と期待した目で会話してきてくれる方も多いです。

実際私が「学生時代ビートルズのコピーバンドをやっていた」とか、
「ビートルズのアルバムはすべて持っている」等のエピソードを持った
生粋のファンであればよいのですが

「なぜビートルズ?」という問いには
単に「好きだから」としか答えられない
程度の知識しか持っていないのが実情。

しかしこんな程度でも亀戸店を開店した時分から足掛け10年以上。
毎日店内には流れ、まさに空気のようになってしまいました。

先日のオリンピックであらためてビートルズが「THE・イギリス」で
ある事を感じさせてくれました。

私の知らないイギリスの若いバンドが開会式で演奏していた曲や
オリンピック関係の番組の要所要所に連奏される曲がことごとく
ビートルズであり、古さや違和感がなくとても自然に耳に入ってきました。

私の親の世代で流行したバンドであるから私などより上の世代の方は
もっと馴染みが深い事は当然の事でしょう。

曲解ですが、年をとってもその年齢の演奏で魅力が増す音楽もあると思います。
しかし人気絶頂で解散し、更にバンドの顔であるジョンレノンの死により二度と

ビートルズとしての演奏が不可能になってしまったからこそ。
本体のビートルズというバンド自体が存在しないからこそ。

余計、曲が真空パックされたように新鮮に人々の頭の中に流れ続けているように思えます。

ベッ甲イソガイのお店のBGMが何故かビートルズに落ち着いたのは、
お店を訪れる方々、店にいるスタッフにとって不快なく自然に耳に入り、
リラックスさせたり、気分を高揚させたりと、

只の「音」ではなくまさに「空気」となり馴染むからだと思います。

「一人でも多くの人にビートルズを聴かせたい!」とか
「ジョンレノンみたいになりたい!」等の力みもなく

何となく「好きだから」という理由で、うちのBGMはビートルズから当分変わらないんだろうなあ・・・・


亀戸店 店長日記1

                         記事担当:亀戸店店長 磯貝克実
 皆様ご機嫌いかがお過ごしですか? 

私は亀戸店にて店長をしてます磯貝克実と申します。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、知らない方の為にも説明しますと
お店の前には学業の神様で菅原道真も奉られている亀戸天神社がありまして、
そのいわゆる参道にあたる所にお店を構えています。

ですが参道と言いましても浅草や柴又など長い距離でお店が軒を連ねている
のとは対照的で短くお店も他には、うなぎ屋・そば屋・不動産屋さんなどの
コンパクト?な通りですが頑張ってやっている所なのです・・・  

さて目の前にありますのが亀戸天神社でして今では境内・特に太鼓橋から
眺めるスカイツリーが抜群に綺麗でして、カメラ片手にお散歩に来られるの
にも良いですよ!

さてさて、店の周りの感じがお分かり頂けたでしょうか?

このような場所で先日7月5日(木)にてめでたく10周年を迎えることが出来ま
して、振り返ればあっという間ではありましたが亀戸(地元)で亀のようにコツコツ
とやってきた成果なのではないかと思い店長としましてもうれしい限りであります!

今後もお客様に親しんで頂けるお店作りを心掛け手行きたいと思いますので応援?
 宜しくお願いいたします!
                          
           

亀戸店 臨時休業のお知らせ

 ベッ甲イソガイ 亀戸店は
8月20日〜22日臨時休業いたします。

尚浅草店は通常通り営業を行ないます。

ベッ甲イソガイ 浅草店
  10:00−19:00
  水曜定休 
ベッ甲イソガイ 亀戸店
  10:00−18:00
  水曜定休

お気軽にご来店ください。

べっ甲の素材のお話2

べっ甲の素材のお話1からの続きです        記事担当:磯貝剛

 私がデモンストレーションでオーストラリアのキャンベラ国立大学で
ワークショップをした時の話です。

キャンベラ国立大学の芸術学部のホールにて日本の文化の紹介する
機会がありました。沢山の学生の方が日本から来た職人衆の作業に興味津々。

その学生のなかのひとりの方が
「午後に面白いものをもってきてあげる。」と意味深な言葉を残し去っていきました。

午後になりその学生さんが持って来たモノは亀の甲羅。
しかもまぎれもなくタイマイの甲羅で、

「祖父が漁で採った亀の殻が家にあったから持って来た。」
と貴重な実体験をもたらしてくれました。

実は彼女、大学の近くから通う地元のアボリジニーの方でした。



ワシントン条約で本物の素材を持ち出せなかった私は樹脂
のフェイク素材をワークショップの材料としていたのですが
やはり普段使い慣れたべっ甲の素材に海外で出会えとても
感激して簡単なペンダントか何かをその場で仕上げて彼女
にプレゼントしたと思います。

私も職人なのでもちろん素材は欲しいですがやはりお金目
当ての乱獲は反対です。

食料確保のために海からは魚に限らずタイマイも得られるのなら、
その循環の中にべっ甲職人を組み込んでくれたらなんて幸せだろう
と勝手な想像してしまいます。

伝統的に日本で育った「べっ甲」という工芸が無くなってしまうのはやはり寂しいし、
天然素材ならではの「とてもいい肌触り」「軽さ」何よりも「素材の色合い」など、
五感に訴える豊かな素材であることも知ってもらいたいです。

今の私に世界的な条約を変える力もありませんし時間もありません。
自分に出来る事は、べっ甲という素材の良さが伝わるような品物を
一つでも多く作り上げ、愛着を持って使って頂ける方に使って頂くことだと思います。

貴重な素材だからこそ大切に作業していくことを心がけていきたい
とあらためて思ったありがたい体験でした。


べっ甲の素材のお話1

                               記事担当:磯貝剛

今回のお話はべっ甲細工の作り手としての職業上、素材として「玳瑁(タイマイ)」
という亀の甲羅を使わせていただいているので素材状況のお話を絡めた文章に
したいと思います。

ご存知の方も多いと思いますがべっ甲細工に使われる玳瑁という亀はワシントン
条約で商取り引きの輸出入が規制されています。実質べっ甲に使われる素材は
国内に保管されているストックのみ。



とはいえ、私の様な若輩の若い(?)職人がいなくもないべっ甲業界。
良く質問される「材料がなくなったらどうするんですか?」という問いもうなずける。

続けてこの仕事が出来ているべっ甲職人に共通する事は
先代や先々代の親方などが素材を蓄えていてくれた工房である事。
腕はあっても素材がなければやはり職人の数は減っていってしまう。
ありがたい事に私の工房にも材料の蓄えがたくさんあります。職人が
どんなに一生懸命手を動かしても出来高は知れたもの、私の代ですぐ
になくなってしまうとは到底思えない。

しかし、自分が続けていくには充分の素材があると
タカを括ってばかりはいられないのが現状です。

やはり新規の素材の補充ないままであると、業界に若い職人が芽生えづら
く当然、職人の高齢化は進みます。作られる製品も素材の枯渇を気にしながら
であると思いきったものが少なく「べっ甲」という製品自体の魅力も世間的に
薄れていってしまうのでは・・・・・と心配は尽きません。

そもそも「玳瑁(タイマイ)」という亀がどこに生息しているかと言うと、
赤道近くの暖かい海。日本近海では夏の間はかろうじてタイマイが
生存できる水温の様で沖縄の海域でまれに確認できる程度だそうです。

実際に素材として輸入されていた時はインドネシア周辺とカリブ海周辺の
タイマイが2大産地でした。もともとタイマイに限らずウミガメを貴重なタンパク源
として捕食していたこともあり、甲羅の部分は捨てられたり、簡単な細工など
する人もいたようです。

     〜ベッ甲の素材のお話2に続きます。〜


夏期営業のお知らせ

 ベッ甲イソガイ 浅草店 亀戸店の両店舗は
お盆は通常と変わらず営業を行ないます。

亀戸店のみ8月20日〜22日臨時休業いたします。

ベッ甲イソガイ 浅草店
  10:00−19:00
  水曜定休 
ベッ甲イソガイ 亀戸店
  10:00−18:00
  水曜定休

お気軽にご来店ください。

趣味=サーフィン

   

                                                                                    記事担当:磯貝剛

~今回は暑くなってきたので軽いお題で「夏、海、サーフィン」について・・・・~

私は面倒見が良い方ではない。

どちらかと言えば、信じるわが道を突き進むタイプである。
趣味のサーフィンも自分自身のペースで行動できるため一人で行くことが多い。

とはいえ一人が好きとかそういうことではなく、趣味である以上サーフィンを
納得いくまで楽しみたいだけなのである。だからサーフィン仲間と一緒に海
に行くことも大好きだ。

こんな書き方をしていると余程の上級者みたいで申し訳ないのだが
始めたのは30才を越えてから。実力的にはやっと横に滑れるようになった程度
で大したレベルではない。

そもそもサーフィンを始めるには遅めの年齢でなぜハマる事が出来たか?

人それぞれ「海」に対するエピソードはあると思うが、
少年時代海水浴に連れて行ってもらい力尽きるまで泳ぎ
夏の濃い思い出を作った事を皮切りに、

学生時代は男友達と何かを期待してビーチに出没したり、
バイト仲間と仕事が終わってから花火をするためわざわざ車を飛ばして海まで往ったり、
サークルの仲間とは肌寒い春先に波打ち際でじゃれているうちに
水の掛け合い=風邪をひいたり・・・・

私の場合、「海」は楽しい事の代名詞であり、多くの人と同じく海自体に癒される。

海水浴でシュノーケルをして泳いだり、ゴムボートで漂ったり、
ボディーボードをしてみたり・・・・
何をしていても楽しいのだが常にサーフィンに対する憧れがあった。


   


しかし周りでやっている友達もいないし、テレビでもまれにしか取り上げられる
ことはなく、道具がどこで手に入るのかさえ知らない未知のスポーツ。
大学生の時あたりから夏になり海に行くと悶々とサーフィンしてみたい
意欲が湧きあがる。年々やってみたい気持ちは強くなるのだが・・・・・・

30才を越えたあたりから
「このままでは一生サーフィンをしないで終ってしまう」という危機感が強くなり、
人との会話の中に「サーフィンしたい!!」と連発するようになった。

「面倒見の良くない私」のほぼわがままに近い要望に、職人仲間の先輩が
こともなげに

「お古でよければおれのサーフボード使えよ。」と!!!

サーフィンを始めてみるとさりげない面倒見の良い方に出会う事が多い。
また、想像していた以上に楽しい!!

こんな素晴らしい趣味を得た「面倒見の良くない私」が
「面倒見が良くなった」としたら本当のサーファーになれた時だと思う。

たぶんサーフィンが十分上手くなり周りに気を配る余裕が出た時。

・・・・・当分先になると思いますがそうなれると良いなあ・・・・


初遠征・フランスの片田舎−3



初遠征・フランスの片田舎−3”

「農家の納屋」ギャラリーから、「草っぱら」ギャラリーに場所を移動した我々職人衆。

絶え間なく「草っぱら」ギャラリーに訪れる地元も皆さまは、私の作った
(べっ甲のフェイクですが・・・)「かんざし」「ペンダント」「リング」などに
日本を感じてくれたらしくしきりに「売ってくれ」と。

私は「商売出来ているわけではないので売れません。」の
一点張りでかなりの人数の方にお断りをしなければなりませんでした。

しかし、しばらくすると地元の方々だけあって家から出直して来たらしく、
「ワイン」や「パテの瓶詰」「チーズ」などを手に
「売るのではなく、物々交換しよう」とやってきました。


お金ではないやり取りに新鮮さを覚え、フェスティバルも最終日であったので、
次から次へと「物々交換」を行いました。

ワインは10本を超え、どれも置いていくことが出来ず
帰りのスーツケースには「HEAVY」のステッカーが貼られました。

他には地元のロウで絵を描き上げるアーティストの方とはお互いの
作品を交換しました。ステンドグラスの様な色使いで、青の背景に、
印象的な鮮やかなひまわりが描かれた大胆な絵でした。


会場にはバンドの生演奏、子豚の丸焼き、ヤギチーズ、
ワイン、ビール。盛り上がらないわけがありません。

私の許容量を超えたアルコールも、カラッとした異国の空気のせいか
いつも以上に楽しさが増し、まさに円滑剤となりました。


日本の文化の一端を背負って海外を旅する「文化交流」。
もしかしたらトンチンカンな日本を披露していたのかもしれませんが、
自分が出来る最大限の力で過ごした2週間、今の私の価値基準に
大きな影響与えていることに間違いない体験でした。


この旅のきっかけを与えてくれた「とても偉大な職人さん」への
感謝はもちろん、日本人、外国人関係なく、出会うことへの有難さ
を実感できるようになった「初遠征」でした。

 



プロフィール

浅草・亀戸べっ甲職人の店「ベッ甲イソガイ」のオフィシャルブログです。

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